【出前アートラボレポ】横浜国立大学教育学部附属横浜小学校6年生と考えた「ART(アート)」と「藝術」
世界にまだない価値を、世界へ置いてみる
横浜国立大学教育学部附属横浜小学校6年生と考えた
「ART(アート)」と「藝術」

2026年9月10日、横浜国立大学教育学部附属横浜小学校を訪ねました。
出会ったのは、6年生35人。
この日、みなさんと一緒に考えてみたかったのは、「ART(アート)」と「藝術」について。
45分ずつ、二つの時間をいただきました。
絵を描くこと。美しいものをつくること。何かを表現すること。そして、それらはアーティストという特別な才能を持った人がすること。
「アート」という言葉から、そんなことを思い浮かべる人もいるかもしれません。
もちろん、それらもアートの世界にあります。
けれど、この日みんなと考え、感じてみたかったのは、表現のもっと手前にあること。
人は何かを生み出そうとするとき、何に心を動かされ、どうして手を伸ばすのだろう。
そんな、心と手の不思議な関係についてでした。
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1時間目|ART(アート)――選び、つなぎ、価値を見出す
「ART(アート)って、なんだろう?」
そんな問いから、最初の45分が始まりました。
英語の art という言葉をずっと昔まで遡っていくと、ラテン語の ars を経て、「組み合わせる」「ぴたりと合わせる」という意味を持つ古い印欧語の語根 ar- につながると考えられています。
同じ語根に関連するとされる古代ギリシャ語には、「つなぎ目」「接合」を意味する harmós、関節を意味する árthron という言葉もあります。
つなぐこと。つなぎ目。
言葉の遠いルーツには、そんな意味の広がりが見えてきます。
このことを、みんなに伝えました。
何かを見たとき、「なんだか、これが気になる」と心が動く。
理由はわからない。自分でも、その動きに気づいていないかもしれない。
けれど、何かに誘われるように、ふと手が伸びる。
選んでみる。並べてみる。つないでみる。
すると、もともとそこにあったもののあいだから、さっきまではなかった意味や価値が立ち上がることがあります。
自分の感性に賦活されて手を動かし、選び、つなぐ。そこに「まだ世界にない新しい価値」を見出し、世界へと置いてみる。
「これは、どうだろう?」
そう、世界に問うてみる。
私は、そんな営みをART(アート)の思考として、小さいひとたちと考えてみたかったのです。
ひらがなとカタカナから、ARTを始める
最初の素材は、みんなが毎日のように使っている、ひらがなとカタカナ。
国語の時間にも親しんできた、日本語の文字です。
文字には、音がある。形がある。そして、私たちが感じ取る響きがあります。
「ころころ」と「ごろごろ」。
たった一つの音の違いで、転がるものの重さや大きさまで違って感じられる。
「きらきら」と「ぎらぎら」も、ずいぶん違う。
音と感覚の不思議な関係。
そして、ひらがなやカタカナの形そのものにも、曲線や角度、余白やバランスがあります。
一文字だけでも、自分だけの思い出や意味が宿っていることがあるでしょう。
いつもは言葉として読んでいる文字を、今度は形や音として眺めてみる。
なんだか、この文字が好き。
この音が気になる。形がいいな。なんか変な感じがするな。
そんなふうに心が留まった文字と文字を、つないでみる。
自分の感覚を頼りに文字を選び、組み合わせ、繰り返して、自分だけのオノマトペをつくりました。
そして、生まれた言葉を声に出してみる。感じてみる。眺めてみる。
思いがけない響きが生まれたり、組み合わせた文字が、知らなかった表情を見せてくれたりします。
授業後、ある生徒さんが日記に、こう書いてくれていました。
「ひらがな・カタカナを2文字組み合わせ、それを2回くりかえすだけでアートになるということがおどろきでした。」
すでに知っている文字も、自分の感性を通して選び、つなぐことで、これまでになかった意味を持ち、ARTになる。
特別な材料がなくても、日常のそこかしこにARTのかけらが散りばめられている。
国語の文字も、数学的な形の面白さも、音を感じる身体も、一人の人間の中でつながっています。
ARTのまなざしで世界を見つめてみると、見慣れた日常が、思いがけない表情を見せてくれるのです。
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2時間目|藝術――小さな芽に、両手を添える
次の45分。今度は「藝術」です。
この時間は、保護者のみなさんにも教室に入っていただきました。
教室には、色も形も手触りも違う、さまざまな素材が並びます。

準備をしていると、子どもたちが次々に声をかけてくれました。
「これ、何に使うの?」
「何つくるの?」
「何がつくられるんだろうね〜。まだわからないんだ〜」
そう答えると、キョトンとした顔が返ってきます。
そう、何が生まれるのかは、私にもまだわからないのです。
さて、授業のはじめに、少しだけ言葉の整理をしました。
前の時間に探究したのは、ART(アート)。
私たちが普段使う「美術」「図画工作」「アート」「芸術」、そして今回の「藝術」。
それぞれに異なる歴史や意味の広がりがあり、重なり合うところもあります。
その違いについても、いつかゆっくり考えてみたい。
今日は「藝術」という言葉を入口に、探究を始めます。
まず、みんなで一つの古い字形を鑑賞しました。
〈藝〉のもとになった文字です。
「苗を植えているところ」
「なんか、お祈りしてる」
「木を植えてるんじゃない?」
教室のあちこちから、いろんな見方が飛び出します。
同じものを見ていても、一人ひとりの見え方は違う。誰かの言葉を聞くと、それまで見えていなかったものが見えてくる。
そんな小さな対話の時間になりました。
実は、〈藝〉の古い字形には、人が植物を植える姿が表されていると考えられています。
明治初期、西洋の学問や思想を日本に紹介した西周は、liberal art を含む学問体系を論じるなかで、「藝術」という言葉を用いました。
西周がこの字を選んだ理由のすべてを、字源から説明できるわけではありません。
けれど私は、この「植え、育てる」という意味が、とても好きです。
私たちの中に生まれる思考やアイデアも、最初から立派な木の姿をしているわけではありません。
「なんか気になる」
「触ってみたい」
「これとこれを、くっつけてみたい」
そんな、本人にもまだうまく説明できない、小さな芽として現れます。
その芽に気づいたら、すぐに何になるのか、役に立つのかを決めなくてもいい。
両手をそっと添えるように、大切に育ててみる。
私は、そんな人間の営みを「藝術」という言葉に重ねています。
心が動いたら、手を動かしてみる
さて、いよいよ素材との時間です。
今度は文字ではなく、目の前にあるさまざまな素材から、心が動いたものを選んでみます。
なんとなく好きな色。触ってみたくなる形。不思議な手触り。
理由は、まだなくてもいい。
選んで、並べて、つないでみる。
手を動かすうちに思いがけない形が生まれ、素材に触れることで、また次のアイデアが浮かんでくる。
心と手と素材が、行ったり来たりする時間です。
すぐに手が動く人もいれば、じっくり眺めてから始める人もいます。何度も組み合わせを変えながら、考えを深める人もいるでしょう。
完成形を決めずに始めるからこそ、一人ひとりの感性が働き、それぞれの探究が進んでいきます。
生まれたものを、世界へ置く
自分の手から生まれたものを、今度は教室の中に展示します。
どこに置こうか。どんなふうに置こうか。
自分の中で育ててきたものが、ほかの人の目に触れる場所へと出ていきます。
そして最後に、作品に名前を贈ります。
名前は、作品を説明するためだけのものではありません。
その人が生み出したものに、最初に贈る言葉。
私は、名前とは、そのものに贈る小さな詩のようなものだと思っています。
誰かがその作品を見て、名前に出会い、心を動かす。
自分が見出した価値を世界へ置いてみると、そこからまた、新しい関係が始まります。
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小さなアイデアの芽を、大切に
今回、国語で親しんできた文字は、音や形、そして自分なりの意味を楽しむARTの素材になりました。
後半の藝術では、さまざまな素材を自ら選び、試し、組み合わせながら、一人ひとりが自分の表現を育てていきました。
自分の感覚を手がかりに選ぶ。手を動かしながら考える。そこに自分なりの意味や価値を見出し、世界へ置いてみる。
こうした経験は、教科の枠を越えて、これからの時代を生きる子どもたちの学びにつながっていくと思います。
授業後、今辻先生が子どもたちの日記を届けてくださいました。
アートを根本から学ぶことができた。最後は自分にあったものを使って、頑張って自分なりに作ることができた!と書いてくれた子へ先生が贈った、こんな言葉がありました。
「あなたのいいところは自分なりに『なんでもやってみる』ことができるところ」
そう。なんでもやってみる。自分なりに。
その最初の一歩には、きっと小さな心の動きがあるのでしょう。
そして、その一歩を見つけ、応援してくれる人がいる。
そんな大きな私たちのまなざしもまた、創造性溢れる小さい子どもたちの小さな思考の芽を育てていくのだと思います。
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最後に 6年生のみなさんへ
あの日、みんなと一緒に考えたART(アート)は、世界にあるものの中から、自分の感性で選び、つなぎ、そこにまだなかった価値を見出すことでした。
そして藝術(げいじゅつ)は、自分の中に芽生えた小さな思考やアイデアに、両手を添えるようにして、大切に育てる試みだとミロは思っています。
これから先も、みなさんの中には、たくさんの小さな芽が生まれると思います。
「なんか気になる」
「やってみたい」
「これとこれを、つないでみたい」
そんな心の動きに、どうか耳を澄ませてみてください。
そして、ぜひ手を動かしてみてください。
自分の感性が選び取ったものをつなぎ、そこに自分なりの意味や価値を見出したら、
「これは、どうだろう?」と、世界へ置いてみてください。
みなさんの小さなアイデアの芽を、大切に、大切に育ててほしいと思います。
世界にはまだ、みなさんがこれから見出す価値のための場所が、たくさん空いています。
横浜国立大学教育学部附属横浜小学校6年生のみなさん、今辻先生、そして参観してくださった保護者のみなさま。
一緒にARTと藝術を考える時間を、ありがとうございました。

美術共育実験室ミロアートラボ 創造航海士 キャプテンクルー ミロこと青栁みどり


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